自らの汚さと向き合うことは美しい
終電も無くなった24時過ぎ。「夜通し遊ぼう!」という気概を持った、音楽ラヴァーが集まるフロア。バフのかかった重低音に応答してヘドバンをしたり、飛び跳ねてフロアを泡立たせたりと、まだまだ元気に遊ぶ観客たち。バンドサウンドを中心に据える昼のボロフェスタに対して、京都<CLUB METRO>はバンド音楽要素よりもハイパーポップ的エッセンスが色濃いけれども、バンドTシャツを身に纏いはしゃぐファンは、両者の境界が混ざり合っていることのシンボルとして機能しており、同時にボロフェスタがそういった境界線を薄める役割を果たしてきたことを示しているだろう。
シャウトされる「そのままでいたいだけ」のラインが、戻れないと分かっているのに受け入れられない苦しみを伝える「namique.」と、自身の偽りの感情へと目を向ける「うそつき」を連ねるセクションはハイライトのひとつ。誰かに大切にされるためについてしまった嘘は、見たくない現実から目を背ける後ろめたさに似ている。傍からみれば愚かに見えるかもしれないけれど、私たちは汚いものを受け入れることに必死で、いつももがいている。そんなあがきを捉えたlilbesh ramkoのナンバーが、日を跨いだMETROでセンセーショナルに響いていた。
Text by 横堀つばさ
Photo by 定藤孝徳