私たちにいま出来ることは何か?
昨年度はウクライナの避難民の方をお招きして実情を伺い、社会について考えるきっかけとしたボロフェスタ。今年は、「ーいま話したい、あの日からのこと、能登半島のことー」と題し、2024年(令和6年)1月1日16時10分に発生した能登半島地震について考える。能登町在住デザイナー/B BOYでメディア『NOTONOWILD』を立ち上げた辻野実氏、金沢市在住オルタナティヴラップデュオ YOCO ORGANの0081氏の2名をゲストとして招き、ボロフェスタ主宰の飯田仁一郎を聞き手としてトークセッションを開催した。
当時、3本しかない能登への道が大動脈の高速道路を含めてほぼ崩壊し「物流が止まり分断された」というクリティカルな問題が発生したと話す辻野氏。現在復興は進みつつあるが、9月の記録的な豪雨と河川の氾濫によって、地震被害後も何とか生活していた人々はさらなる試練を与えられている。
能登半島で350年程前から続く伝統行事として、神輿を派手に壊す「あばれ祭り」がある。今年、震災直後でも例年通りの実施を決めた。彼らが祭りを守り続ける理由。それは「今年は能登に帰ろうかなと思ってもらえるように」するため。田舎の過疎化が社会問題となる中で、「僕らは能登の人間だ」という誇り、自分たちのアイデンティティを持つためにやっているという。これは、ボロフェスタが「京都に帰る理由」としての存在意義においてシンパシーを感じる、と飯田は語る。
圧倒的にマンパワーが足りない被災地の現実、まだまだ危機的状況には変わりない。同じ石川県内でも、金沢と能登では大きな意識の差があるそうだ。彼ら2人が繰り返し語ったメッセージとして、「募金もありがたいが直接的ではない。是非能登に足を運んでほしい。顔を見たらダイレクトに分かるし、それが1番の支援で嬉しい」という言葉が印象に残っている。日本という同じ国に住んでいながら、今なお厳しい環境で生活せざるを得ない人々がまだまだたくさんいる現実。そんな状況に対して、離れた場所で暮らす私たちに何ができるのか?
海の幸や豊かな自然等、多くの魅力で溢れている能登半島。「能登ってなんかカッコいいよね」という視点でのアプローチで活動するお2人の話を聞き、寄り添ったつもりでの支援ではなく、物事の本質を考えた上での私たち一人ひとりの行動が、本当の意味で能登の人々へ伝わる力になるのだと考えさせられた。
Text by キムラアカネ
Photo by キョートタナカ