1対1で全員と向き合った「超歌手」大森靖子の声と歌
Helsinki Lambda Clubからバトンを引き継ぎ、GREEN SIDE STAGEに登場したのは、ボロフェスタには2013年から4回目の出演となる「超歌手」大森靖子だ。
ライヴは、“マジックミラー”から。始まった瞬間は鳥肌が止まらなくて、音源とは強度が違う大森靖子の声が鼓膜を直接揺らし、紡がれる一粒一粒のアコースティック・ギターの音色が温厚だった。お客さんとともに作る彼女の表現空間は、熱量を直接交わすことで始まる。対する人と目を合わせ、言葉を交わしてゆく。ホールなのにライヴハウスより熱くて近い空気を感じた。
“ミッドナイト清純異性交遊” から “絶対彼女” へ。アコースティック・ギターひとつで広大なKBSホールに立つまさに!な「弾き語り」である彼女の佇まいは、眩しいほどカッコよく、その圧倒的な表現力の高さに胸が震える。彼女の一挙手一投足を追いかけるように、ライヴに夢中になった。
お決まりの「絶対女の子/絶対女の子がいいな」のコール&レスポンスは、ご時世的に叶わなかったが、ある女の子が声を発した瞬間があった。反応を求めた大森靖子が口に人差し指を添え、心の中でのレスポンスを促したシーンは、とても悲しかったが、まだ止まぬコロナ禍のもと開催される音楽イベントの在り方を象徴していたように映った。
時に激しく、時に優しく、歌い上げる彼女のプレイ・アビリティの高さに翻弄され、どんどんのめり込んでいき、命と向き合う生き方について歌う“Rude”へ。「猛る」とは、荒れ狂った様子を指した動詞であり、自分でも自分の気持ちがわからなかったり、コントロールできなかったりする先にある様をいう。だから、「猛れ」とは、そういった「わからなさ」や「コントロールできない」を恐れるな、と言っているように思った。さらに、「わからない」や「コントロールできない」気持ちが出てくるからこそ、生きていくことはおもしろい、と歌っているように思った。
あってはならない感情なんてなくて、悲しみも、喜びも、怒りも、安らぎも、憧れも、苛立ちも、そのどれにも属さないものもぜんぶ私だと肯定してくれる。だから、聴いたあとにうれしい気持ちが残った。彼女の音楽は、仕舞い込んでいたり、忘れていたりする感情を引き出してくれる。頭でわかっているようで、全然わかっていなかったことに気づかせてくれる。
最後は、「音楽は魔法ではない/でも音楽は」と歌う “音楽を捨てよ、そして音楽へ” 。無力無善寺(高円寺にあるライブハウス)でのライヴより鍛錬を続けてきた、彼女の声や歌の地力に圧倒された。
大森靖子は、身を挺して、表現をし続ける強い覚悟を持ったアーティストだ。だから、私たちは真正面から向き合って受け取る。大森靖子の音楽と向き合うということは、自分と向き合うということと同じな気がした。これからも大森靖子の音楽を大事に聴いていきたい。
Photo by shohnophoto
Text by 石上 温大