愛と笑いの夜
「ボロフェスタ2021 〜20th anniversary〜」の見えない音のバトンは大トリ、サニーデイ・サービスに渡った。ボロフェスタには、2016年から2回出演しており、「曽我部恵一」・「曽我部恵一バンド」としての出演を合わせると、まだ京大西部講堂で開催していた2005年から11回目の出演となる。一瞬にも、一生にも感じた6日間は、まちがいなく特別なものになった。だから、寂しい気持ちと、サニーデイ・サービスのライヴを前に昂ぶる気持ちとが、自分の中に両方あった。本当にすばらしいものは、言葉にできない。言葉にすればひどくありふれたものに思えてしまうから。そう思うくらいに圧倒されたライヴだった。
ジングルのあと、温かい拍手のなか3人が登場し、ライヴは、 “恋におちたら” から始まった。
田中貴(Ba)がイントロのリフを弾いた瞬間は鳥肌が止まらなくて、サニーデイ・サービスが、今この瞬間に同じ時間軸で、同じ場所で生きているというだけで感動した。
曽我部恵一(Vo,Gt)という生身から発される声というサウンドは、たとえばそっと心を支えるように、たとえばからっぽを埋めていくように、たとえば「弱さ」を許すように響く。まるで毛布みたいな束の間の安心と心地よさを感じる。だから、受け取ると心が軽くなる。そして、もらった優しさは、体全体に伝染して蓄えられていく。ちょっとでもやさしい人になれた気がした。
ライヴは、少年の鬱屈とした気分を歌った “I’m a boy” から最新曲 “TOKYO SUNSET” へ。
日々の、意識していなかったら簡単に過ぎ去っていくような「普通の感覚」にまみれた歌詞世界には、「人が生きている」ということが滲み出ており、思い出しても涙腺が緩む。最新曲に最も説得力があったように感じたし、突き抜けていた。続く “セツナ” では、「いま、ここ」の瞬間にもバンド像を更新し続けるサニーデイ・サービスにしか出せない味わい深くも生命力溢れるバンド・アンサンブルでもって、怒濤のスケールと予想を超える展開を見せた。
「スタッフに捧げます、いい素人」と称え、最後は、1stアルバムから表題曲 “若者たち”。彼らの飾らない人柄が音符に乗り、そこに心があると思えるから、説得力をもって聴く者を癒す。リリース当時とはまた違う響き方でも、懐かしい曲から最新曲まで、そのどれもが今のサニーデイ・サービスだった。
収まらない手拍子に応えて、再度登場した彼らはアンコールに“サマー・ソルジャー”を選曲。2回目の「愛しあうふたり/はにかんで」に合わせて、「天地創造」と呼ばれるステンドグラスがこれでもかというほど光り輝き、開帳されていく。
ステンドグラスを背負い演奏するサニーデイ・サービスの「素敵さ」を形容できる言葉を知りたい。頭の中が真っ白になるくらいの高揚感に駆られ、「今日も生きててよかったー」なんて思えてしまうくらいに圧倒された。今目に映る光景は、死ぬ頃に思い出す「あの頃」として走馬灯を彩るだろう。だから、何度忘れてもまた思い出せるように大事に聴く、焼き付ける。音楽も言葉も、ウイルスには勝てない。権力でも宗教でも魔法でもないから、人の命は救えない。でも無力だからこそ素敵なんだ、そんな思いが音と一緒に弾けた。
人々は当たり前のようにいつまでも終わらないもの求める。だけど、終わりがあるからこそ、豊かだったと思える。ご褒美のようなセットリストを回想しながら、最後の最後の残響まで見届けた。多くの人が名残惜しそうに、その場を立ち去ることなく、ライヴの余韻に浸っていた。いいライヴの余韻は続く。
Photo by shohnophoto
Text by 石上 温大